高度経済成長に伴う個の犠牲
ざっくり言うと、
日本は、敗戦国である。
敗戦後、高度経済成長が起こった。
そこで、起こった心理的なものとしては、
集団や組織を大事にして、みんなで、頑張って日本を立て直そう!
といったものであった。
その団結力により、現代の日本は、物質的には、豊かになった。
しかし、物質的に満たされると、次に、満たされたい欲求とは何か?
それは、心理的欲求だと思う。
つまり、愛されたいといった欲求であろうか?
また、日本は、急速に経済成長してきたが、それに伴い、犠牲にしたものもある。
それは、組織を大事にするあまり、個を犠牲にしてきたことである。
現在、インターネットや携帯電話の普及により、表面的に個に趣を置くといった社会になっていると思われる。
しかし、世代間からみた家族といったものに関しても、離婚率からしてみても、フリーター•ニートの増加にしてみても、
個を大事にする意識が芽生えてきている結果であり、深い個になっているのかと言われれば、疑問が残る。
現在、自分も含めて、迷走の時代なのかもしれない。
うつ病や過労自殺などからみられる日本の現代病が、物語っている。
今まで、がむしゃらに頑張ってきたことが、通用しない時代に来ているということが。
十人十色という言葉にあるように、
個人、個人、同じ人間は存在しない。
双子であっても、ツインレイにしても。
自分は、組織に属することに関して、ずっと、懐疑的であったように思う。
肉体的にも、知的にも、精神的にも、個を何よりも、大事にしてきたように思える。
ある意味、社会への反依存、反抗、抵抗といった言葉が似つかわしいとも思える。
僕は、弱い立場の人達に何かしてあげたい欲求もある。
それは、宗教に帰依するとか、信仰心を持とうと勧めているわけではない。
ただ、この先、どう生きていって良いかわからない人、薬を飲んでいて、もう飲みたくないけど、薬に依存せざるおえない人、傷ついている人、
そういった人達に、自分の出来る範囲内で、自分の何かを還元していきたいと考えています。
自分の心理的投影なのだけれど。
依存は、嫌いだ。
会社に依存しないで、自分なりに生きていきたい。
薬に依存しないで、生活出来るようになりたい。
人に依存しないで、自立して、生きていきたい。
相互依存的な友人や彼女がほしい。
それは、お互いにないものを、補い合える関係性。
そういう関係性を築くためには、まず、個として、自立しなければならない。
肉体的にも、知的にも、精神的にも、経済的にも。
個に趣を置きたい!社会に反抗したい!なら、まず、自分自身から変わることが、1番簡単な方法であると思う。
個を大事にするということは、孤独ではない。
個を大事にするということは、社会に逆行することかもしれない。
社会への戦線布告だー!笑
•••と、朝から、乱雑に思考が巡り、
やっぱり、心の仕事をしたいなと漠然と思っている次第であります。
今は、まだ、完全な自立は、出来ていないけど、その状態になれる日は、近いと思う。
今日も、みなさんにとって、素晴らしい一日で、ありますように。
最後まで、読んでいただきありがとうございます。
水行と瞑想のコラボレーション
してみた。
湯船に浸かりながら、瞑想。
上がって、水行。
無駄がない。笑
どうしても、文字を使うのが好きだから、
頭に血が上ってしまう。
その頭に上った気を、瞑想をして、地中に流す。
水行をして、寒冷を感じる。
瞑想をして、光、温暖を感じて、
水行をして、寒冷を感じる。
実に、バランスが取れている。笑
これからも、練って、色々とやっていきたい。
瞑想2日目
感想は、
鳥肌が立つのと、
良い気分になれたかな?
瞑想も続けていこう。
1日目
軟酥鴨卵の法をしてみた。
感想は、5分も出来なかった。
目眩がして、吐き気がして、呼吸が浅くなった。
今日は、ここまでにして。
でも、明日もやってみようと思う。
軟酥鴨卵
今、禅病に関して、調べていたら、
軟酥鴨卵という瞑想法を見つけた。
瞑想を日常生活に取り入れてみようかと思う。
地震と瞑想と精神
今の状態を精神分析してみる。
まず、精神面から言うと、
作り上げられた自我に原因がある。
いわゆる、トラウマというやつなのかな?
それが、積もり積もって、爆発寸前だった。
ここでは、自我崩壊寸前状態と呼ぶ。
自我崩壊寸前状態と並行して、無意識的な瞑想状態に入った。
この瞑想状態から、
自我崩壊寸前状態と瞑想状態により、不安定となる。
ただ、肉体的には、健康であった。
しかし、東日本大震災による、身体的、かつ、間接的な影響により、
肉体的にも、知的にも、精神的にも、
崩れ去った。
これを、日本で知られている、禅病または、ヒンドゥー教圏などで知られているクンダリニー覚醒とでも言うのかな?
独断と偏見で、精神分析してみたけど、
大体、今の分析では、こんな感じかな?
まだまだ、理解は、浅いけど、なんの知識もなかった時に比べて、不安は、軽減していると考えられる。
まだ、理解を深めていきたい。
あくまで、ここで述べていることは、勝手なイマジネーションだと思ってくれても良いです。
禅病とかを、体験したことのない人の観点から、言うと、
大丈夫?
と思ってしまうのも、無理はないと思う。
ただ、この状態が病気ではないのなら、
じゃあ、なんなの?となるのも、必然的ではないのか?
探求して、6年。
自己肯定的に考えると、上記のようになることを、ご了承下さい。